マイントピア別子の遊学パーク体験ゾーンで遊ぶの続き記事です。
日立、足尾と並ぶ(というか産出量は世界一)、日本三大銅山の一つであった別子銅山(昭和48年の閉山まで約280年間採掘)。
東洋のマチュピチュ(南米ペルーの遺跡)と称され、世界遺産の候補にもなっている遺跡です。
▼別子銅山の遺構を観たい、と思い立ったのは2017年11月。半年後の2018年の夏休みに実現しました。
東平(とうなる)はマイントピア別子からバスで30分
▼バスを降りたところから貯鉱庫を遠めにみるとこんな感じ
標高750mの山中にある東平(とうなる)は、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に休止するまで町として大変な賑わいをみせていました。
マイントピア別子 公式サイト
これが東洋のマチュピチュだ!
▼貯鉱庫を上からみた写真。山肌に沿って石造りの遺跡がそびえ立っています。当時はマチュピチュ遺跡に例えられてはいなかったとしても、天空都市の発展する姿は誇らしかったのかなと思います。
▼重厚な花崗岩造りの貯鉱庫。逆光が残念ですが、近くで見ると迫力あります。
▼荘厳です
▼索道停車場跡
東平索道停車場は、鉱山施設が集中していた東平集落の下部にあり、東平と端出場(黒石)を結ぶ主要輸送機関でした。鉱石運搬はもちろん、日用生活品や郵便物、新聞もこの索道で輸送されていました。鉱石は、隣接する貯鉱庫から搬器に移され、端出場へと運ばれていました。
▼社宅?学校?
▼物資引き上げ輸送に使われた220段のインクライン。今は遊歩道になっています。
別紙の海から四阪の海までを世界文化遺産に
別子銅山では鉱毒には万全の対策を講じ、鉱毒水の公害が出ないよう、水路への設備投資がなされたそうです。しかし、精錬時の煙害によって、山の木々はほとんど枯れてしまったそうです。しかし住友林業などの尽力もあり、現在は、閉山後に住友グループの社員が、1本1本植林し、山の木々は復活し、豊かな緑溢れる山に蘇っています。
最盛期には、労働者とその家族が3,800人ほど生活をしていた別子銅山。この場所の発展があってこそ、住友が巨大財閥へと成長発展したかと思うと、ぜひ世界文化遺産になったらなと期待しています。
愛媛にお越しの際はぜひ行ってみてください。